自己紹介:田中 マリア(コーポレート・プランニング・グループの”自己紹介” ブログ(Vol. 4))

2024.04.09

「アンネの日記」をご存じでしょうか。私は、中学生の頃に初めて読んだ彼女の日記をきっかけに、人生の歯車が動き出したと実感しております。

4月1日よりCorporate Planning Groupに配属となりました、田中マリアと申します。

私は、中学生の頃に読んだ「アンネの日記」をきっかけに、第二次世界大戦時に行われたホロコーストの存在を知りました。そこから、ユダヤ人迫害の歴史に興味を持ち、図書館に通っては何冊も諸関連の本を読み漁りました。高校は地元でしたが、「いつかアンネ・フランクの家に行きたい」という想いを胸に、高校2年次に1年間オランダ留学を経験しました。オランダの首都アムステルダムにある中央駅から徒歩20分ほどの場所に、今もアンネ・フランク一家の“隠れ家”が博物館として現存します。

アンネへの思いを馳せながら、1年間オランダ滞在を果たした私ですが、全てが上手く進んだわけではありません。高校生だった私は、得意だと思っていた英語もままならず、結局ほとんど外国語能力が0の状態で、無理矢理覚えたオランダ語での自己紹介のみを武器に入国しました。

オランダは中高一貫(middelbare school)の教育体系なので、そちらの現地校に外国人留学生としてメンバー入りしましたが、全く会話ができず、“pauze(パウズ)”と呼ばれる休み時間には、日本語での日記を書くことで現実逃避をしたこともあります。それでも、面倒を見てくれた温かいホストファミリーのおかげで、徐々にオランダ語でコミュニケーションが取れるよう成長しました。帰国後、さらにオランダという国について学びたいと考えた私は、オランダの大学と協定校関係である日本の大学へ進学しました。

ある時、教育社会学が専門だった教授の講義で、“モンテッソーリ教育”という言葉に出逢いました。当時、集団塾で幼稚園生から小学校4年生までの子どもを対象に、脳トレのコーチアルバイトをしていた私は、もちろん教育そのものへの興味もあったため、その言葉に惹かれ詳しく調べました。

すると、それまでの義務教育で感じていた教師から子どもへの一方的な授業形態からの解放が記されており、それはもう目からウロコでした。大人からのサポートはもちろんありつつ、“モンテッソーリ教育”では、子どもが主体的に学べる空間が保障されるとのことでした。私には理想の教育法に思えました。(アンネ・フランクが通った現在の“6e Montessorischool Anne Frank”が、当時オランダのモンテッソーリ幼稚園だと知ったときは、シンクロニシティが作用したように感じられました。)

モンテッソーリ教育法は、イタリア人女性として初めて医学博士号を取得したマリア・モンテッソーリ(1870-1952)によって確立されました。1907年に『子どもの家』(モンテッソーリ教育を実践する幼児教育施設を指す)がイタリア・ローマで誕生してから現在に至るまで、世界中の0~18歳を対象に実践されています。近年では、ご年配の方へのモンテッソーリ教育や、“モンテッソーリスポーツ”という領域が確立するなど、さらに注目を集めています。

しかし我が国では、保育園や幼稚園など、乳幼児が対象となる場合がほとんどです。私の通う学部は、保育とは全く関係がなかったので、大学3年次のオランダ留学後すぐに、テキストやYouTube動画を駆使しながら保育士試験に向けて猛勉強し、大学在学中に保育士資格を取得しました。大学卒業後は、モンテッソーリ教育に携わりたいという一心から、3-6歳児のための国際モンテッソーリ教師の養成校に通う傍ら、非常勤保育士として0-6歳が通う保育園での勤務を経験しました。

そんな私がなぜ、IISIAに入社したのか不思議に思われるかもしれません。私は、昨年弊研究所が社会貢献事業の一環として行った「2023年度IISIAサマースクール」に学生として参加しました。同年代の仲間と行ったグループワークと、代表の知識のシャワーを浴びる経験は、恥ずかしながら自らの無知を実感する大変貴重な機会となりました。また、同時に未来のリーダーとなる若者に「情報リテラシー教育」を経て社会貢献できるのであれば、これほど嬉しいことはないと考えました。今後は、我々のヴィジョン“Pax Japonica”の実現に貢献できるよう、教育に掛ける熱い想いを持って従事していく所存です。

コーポレート・プランニング・グループ 田中マリア 拝