SDGs17の数字に込められた意味を探る その1(「国連SDGsとパックス・ジャポニカ」Vol. 2 )
SDGsをめぐり外務省の動きがあった。有識者懇談会を設け、達成期限である2030年の次の目標設定を見据えた議論を進めていると報じられている。SDGsは2015年に国連で採択され、約10年が経過、目標の2030年まで残り5年となったわけだが、コロナの感染拡大やウクライナ情勢の影響もあり達成は容易ではない。目標達成への取り組みを加速させると同時に、次の目標への動きも検討していく必要がある。日本が議論をリードしていけるかも争点となってくるが、改めてSDGsはどのようなものか、どのように策定されたものか見ていきたい。
Vol.1では2000年に採択されたSDGsの前身と言われるMDGsについて触れた。MDGsは貧困と飢餓、初等教育、ジェンダーの平等、乳児死亡率、妊産婦の健康、感染症その他疾病の蔓延防止、環境、グローバルパートナーシップの8つの課題が提示され解決に向けての目標や各国の役割が策定されたものである。ただMDGsの前からも世界での共通の課題は認識されておりその流れがあった。SDGsは「平和・開発・人権」と「環境・持続可能性」という大きく2つの体系から成り立つ。その発端は1945年までさかのぼる。第二次世界大戦の反省から国際連合が設立された。1960年代、国連総会では、「国連開発の10年」の宣言があり、先進国と途上国間の経済格差を指摘する「南北問題」にスポットが当たった。アメリカのケネディ大統領の提案も受け、途上国の経済成長率を5%まで引き上げることが目標とされたが人口増加もありひとり当たりの成長率は5%には至らなかった。1970年代、各国は金銭的、物理的な豊かさを求め、自国の繁栄や成長を第一に考えていたが成長には限界があった。人口増加や環境汚染が世界全体の問題として認識されるようになり、やがて食料不足、天然資源の枯渇に陥り、100年以内に地球は限界に達するとの発表も出された。
(参照:環境省_平成25年版 図で見る環境・循環型社会・生物多様性白書 状況第1部第2章第2節 経済社会の変革への動き)
冷戦後も世界中で激しい紛争は起こり、多くの命が奪われる中、人権を守り平和を実現することは国連の大きな役割の1つであった。持続可能な開発(Sustainable Development)という言葉が初めて使われたのは1987年の「環境と開発に関する世界委員会」(WCED = World Commission on Environment and Development)においてである。ブルントラント委員会との名で知っている方も多いかもしれない。委員長が後にノルウェーの首相となったグロ・ハーレム・ブルントラントだったことから取られたものである。
(参照:国際連合広報センター)
報告書「Our Common Future」の中で持続可能な開発は「将来の世代のニーズを満たす能力を損なうことなく、今日の世代のニーズを満たすような開発」と定義されている。
今現代の豊かさの実現が、将来世代の環境や資源を侵害しないように、持続可能性を確保する開発・発展の姿を求めたものであり、あるべき姿を表現している。
唐突だが「あるべき姿」、SDGs17の目標数の「17」という数字で何か思い当たるものはあるだろうか。17は7番目の素数である。大谷翔平の背番号としても日々目にすることが多いだろう。あと1つ足せば2でも3でも割れる18となるどこか欠けている数字である。17に特別な意味があるのかは分からないが読者の皆様に投げかけたところで今日は一旦筆をおこう。また次週その2で。
コーポレート・プランニング・グループ 池田梨沙子 拝