自己紹介:近藤 由貴

2024.02.06

2024年元旦に日本では不運なことが続き気分が落ち込んだ幕開けでしたが、私にとっては殻を破って出てきたような明るい幕開けでした。長らく転職活動に励んでいた年末に、ようやく新しい就職先が決定し、勤務開始したためです。

1月9日よりCorporate Planning GroupにてLeaderとして着任いたしました、近藤由貴です。入社を迷っていた時の最終面接の際に代表から、普通に生活している私には到底知り得ないお話をしていただき、途中で時間になってしまったので、もっとお話が聞きたいと思ったことが決定的になり、入社させていただくことになりました。入社してまだ1か月程ですが、機会がある度に代表の止まらないお話を伺い、職場を通して学んだことは頭から溢れるくらいあります。

入社してからあっという間に時間がたち、もう2月になって受験真っただ中になってきました。高校生の皆さんとご両親はそわそわされている頃かと思います。私の場合は、よく自宅でアフリカやアジアにおける貧困や病気に関するドキュメンタリー番組を見ていた中で、高校生の時には将来は国境なき医師団の医師になりたいと思って医学部を目指していました。高校3年生の時には毎日のように塾に通い、夜中まで机に向かってひたすら勉強して全力を尽くしました。それが、緊張もあり、本番で全く点数が取れず、両親に期待させておいて結局は滑り止めだった大学に通うことになり、ぐったり肩を落としていたのがこの頃でした。共に受験勉強に励んでいた周りの友人は私を置いて有名大学に次々合格していました。その後大学生として迎えた4月は悔しさと共に闘争心が湧いてきて、医師という職は諦めたものの、国境を越えて仕事をしたいという思いは消えず、頑張って英語に専念することにしました。

そんな中で大学3年生の頃に内閣府主催の東南アジア青年の船事業に応募し、運よく日本代表青年として選出していただき、東南アジアの5か国をASEAN各国からの参加青年たちと共に船で訪問しました。その際にタイとインドネシアで日本にいる時には見たことのなかったような、地面を這うほぼ全裸の貧困に苦しむ人々を目撃して衝撃を受けたのは今でも忘れません。酷い雨の時で、道も洪水のようになっていたこともあり、この光景を目の当たりにしてからは、発展途上国の発展に注力したいと思うようになりました。私が大学生だった当時は貧困と気候変動を同時に学べるような大学院が日本にほぼなかったのですが、米国にある大学院ではそれが可能だということがわかり、Sustainable International Developmentに特化した大学院に入学することを目指しました。米国の大学院では講義の内容が日本と異なりディスカッションやグループワークが多く、授業が終わってからも教授に対する質問の挙手が絶えず、学んだことは講義の内容以上のものがありました。大学院2年目には後期の半年間をインターンとして過ごすか大学院に残って講義の受講を続けるかの選択肢が与えられ、私はインターンの選択肢を選びました。しかし、自らインターンシップ先に応募して採用されないとその選択肢が実現しないシステムになっており、これに関しても日本における大学受験と同様に非常に苦労しました。周りの友人がどんどんインターンシップ先を決定し、海外に飛び立っていくのを見ている中、私は何か所ものインターンシップ先から断りのメールを受信している毎日で、高校生の頃の悪夢が蘇ってきていました。もうダメかな、と本当に諦めかけていたとき、なんと1か月以上前に応募して何の音沙汰もなかった候補先から連絡があったのです。夢かと思って目を疑いましたが、ドイツの気候変動系国連機関からのオファーでした。私が最も行ってみたかった国連機関が私を受け入れてくれたことは、大学受験時代の名誉挽回になりました。ここから私の黄金時代が始まり、最初の職場もインターンシップの経験から紹介を受けて省庁の国際連携課での事務職になりました。

Devastation brought about by Typhoon Haiyan in Tacloban City, Philippines. Photo by Erik de Castro/Reuters

大学院を卒業したら米国に残って仕事がしたいと思っていた私ですが、帰国する場合のオプションも考えていました。帰国するならば、国と関連する機関において私が見てきた過酷な状況の東南アジアの国を支援しようと思っており、国の省庁でのお仕事は私にとって、その後独立行政法人に勤務するための踏み台になりました。フィリピンにおける気候変動への適応と農家への経済的支援を目的としたフェアトレードプロジェクトの形成に関する企画や調査の実施や経済特区との連携による産業人材育成及びバリューチェーン強化を通じた産業競争力向上プロジェクトの立案に関する職務に携わることで少しでもその夢がかなえられたかと思います。

その後一旦職務を離れ、中国に語学留学に行きました。1年間の留学予定でしたが、半年ほど経過した頃に大学院在学中に知り合った大手民間企業の方からお仕事のお誘いをいただいたことから、帰国してこちらの企業に数年間勤務しました。中国を離れるのは名頃惜しかったですが、全く違う業種で働けるチャンスを逃さないための決断でした。新しい職場では毎月のように社員向けのイベントも開催されており楽しくお仕事していましたが、こんな時にコロナ時代がやってきたのです。私の仕事は対面であるから意義があり、やり甲斐もあったのですが、それが全てなくなってしまい、大学院で学んだことと関連して自分の特性が生かせて国際的に働ける業種に戻ろうと決意しました。

それからはゆっくり時間をかけて新しい転職先を探しました。国際的に活動している組織を中心に考えていたのでIISIAの社名だけでは正直私にはヒットしませんでしたが、掲げているPax Japonicaというミッションを知り、大変魅力を感じました。今まで海外で生活し、帰国する度に、日本はなんて安全で清潔で健康的な国なのかを実感しており、外国人に出身を聞かれて日本と言ったときに相手の笑顔が見られるのも自分としての誇りだと思いました。そしてこの特長を再認識していく中で、国際的に活躍することに加えて、これをより多くの外国の方に伝えたい、という気持ちが強くなっていたので、Pax Japonicaの思想には共感することが多くありました。IISIAはシンクタンクでありながら、収益の50%を社会貢献事業に充てており、Pax Japonicaの実現に関連した新しい活動を海外にも広めていくことを目指していると知り、私にも何かできることがあるかもしれない、と感じました。

Corporate Planning Group
Leader / 近藤 由貴

色々な職場や居住地を転々とした私ですが、IISIAでは過去の経験を生かし、自分にとって身近な国である東南アジアや中国を中心とした、気候変動に関連した新しいプロジェクトをRIJAGの活動として立ち上げて、社会貢献に尽力させていただく所存でございます。