我が君はなぜ今、蒼き狼を訪うのか。(原田武夫の”Future Predicts”. Vol. 45)

2025.06.28

世界は更に騒然としてきている。そうした中で一つ、極めて印象的なことがある。そのことを今、すなわち「事前」だからこそ、ここに書き記しておきたいと思う。

それは来月(7月)6日より、今上天皇と皇后陛下がモンゴルを御訪問されるということだ。このことは宮内庁が先般、公式に発表した。20日付の閣議決定を踏まえての御訪問である。

かねてより、モンゴル大統領閣下から、天皇皇后両陛下に対し同国を御訪問いただきたい旨の招請があった。

ついては、我が国と同国との友好親善関係に鑑み、両陛下に同国を公式に御訪問願うことといたしたい。

よくよく見るとこの公表文は、市井に生きる私たちの目からすると少々奇異なのかもしれない。「御訪問」するのはあくまでも今上天皇と皇后陛下である。しかしそのご意思のままに「御訪問」がなされるのではなく、実はそこには二重の仕掛けがなされている。すなわち一つには「あくまでもモンゴル側からの招請による」ということである。そしてまた、このことを踏まえ、我が国内閣の側から両陛下に「御訪問をお願いした」という体裁をとっているということである。つまり、そこには今上天皇の「御意思」は基本的に微塵も見えないのだ。なぜか。

このことは戦後に憲法上、確立してきた「象徴天皇制」と深くつながっている。なぜならば、今上天皇が「公務」として行うことが出来る行為は、日本国憲法上、以下のとおり「制限列挙」されているからである。

1.天皇は、日本国憲法の定める国事行為のみを行い、国政に関する権能を有しない(憲法第4条第1項)。

2.天皇の国事行為(憲法第6条・第7条・第4条第2項)

1.国会の指名に基づいて、内閣総理大臣を任命すること。

2.内閣の指名に基づいて、最高裁判所の長たる裁判官を任命すること。

3.憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。

4.国会を召集すること。

5.衆議院を解散すること。

6.国会議員の総選挙の施行を公示すること。

7.国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。

8.大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。

9.栄典を授与すること。

10.批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。

11.外国の大使及び公使を接受すること。

12.儀式を行うこと。

13.国事行為を委任すること。

3.天皇の国事行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負う(憲法第3条)。

そう、何を隠そう、上記を見れば分かるとおり、今上天皇(及び皇族の方々)が「外国御訪問」を行われることは「国事行為」の中に含まれていないのである。昨今は当然視されがちなこの「外国御訪問」であるが、実のところ、厳密に言うと「憲法上の疑義無し」とは言えないものなのだ。したがってこれをいかにして乗り越えるべきなのかということが憲政上、重大なイシューとならざるを得なかったのである。

戦後、天皇陛下が初めて外国を御訪問されたのは1971年に昭和天皇(当時)が御訪欧された時のことである。そしてこれを控え、我が国では実に喧々諤々の議論が展開された。そしてこうした国内における論難を経て、時の政府が編み出した論法が上述のとおり、「外国御訪問はあくまでも外国元首からの招請により実現されるべきものである」ということ、そして「外国御訪問を内閣がお願い奉り、今上天皇がこれをお受けあそばされる」ことという二段論法であったというわけなのである。

しかし、である。ここで留意しなければならないことがある。それは「公務」と「御公務」は厳密に言うと違うという点である。このことは一般に選挙で選ばれる「政体」勢力の中で話題になることは全く無い。なぜならば「政体」にとってルールとは日本国憲法であり、あくまでもそこで制限列挙されている国事行為、すなわち「公務」に限られるからである。

これに対して「御公務」とは、そうした憲法の範囲外において今上天皇が「事実上」行われている行為をも指している。現状最も有力とされる「園部説」はこうした「御公務」の中に事実上の行為のみならず、「皇室の伝統に則って行う祭祀など」を含めるとしているのである。さらにこれらの行為については、「国事行為」とは異なり、内閣による助言と承認が逐一必要であるとは言い切れないとも解しているのである。実はここに、立憲主義(constitutionalism)と「その向こう側」へと連なる世界との間を貫く実に細き道が見え隠れしている。

それではこの様に考えた時、何故に今上天皇はこの度、「蒼き狼(Borte Chino)」の国を訪うこととされたのであろうか。「御公務」としてこのことをとらまえた時、如何なる推論を導き出すことが出来るのであろうか(この意味での「御公務」は純粋な私的かつ事実行為(たとえば入浴される等)とは全く異なる性質のものであることは言うまでもないが、他方で上述のとおり、内閣による助言と承認を当然には必要としないと解される限りにおいて「私的性格」を帯びることも確かである。したがって究極において、市井に生きる私たちは今上天皇の真意を「推し量る」「忖度する」ことしか出来ないということはここで明記しておきたい)。

この関連で筆者が注目をしているのが、今上天皇と皇后陛下が「蒼き狼の国」を訪れ始める来月(7月)6・7日、地球の真裏に位置するリオデジャネイロ(ブラジル)では「BRICS諸国首脳会議」が実施されるものの、ロシアのプーチン大統領、さらには中国の習近平主席がいずれも早々に「欠席」を公言しているという事実である。これらの二つの国々は言わずと知れた「モンゴルの隣国」たちである。それぞれ、それぞれなりにもっともらしい理由は確かに述べている。しかし「本当にそうなのか、それだけなのか?」ということについては今、精査されるべきであるというのが卑見である。

なぜならば、これら二人の国家元首ほど、「今上天皇を意識している「政体」勢力のリーダー」はいないからである。まず、安倍晋三政権時代の我が国を訪問したプーチン露大統領は平成天皇(当時)の拝謁を試みるが、陛下の「御体調」を理由にキャンセルになった経緯がある。爾来、我が国の「国体」レヴェルとプーチン大統領は意思疎通出来ていないのである。他方で習近平・中国国家主席は2019年当時、まずは我が国を国賓訪問し、「返礼」として今上天皇の中国への国賓訪問を招請しようと画策した経緯がある。しかしこれらはいずれもかなわず、現在に至っているわけで、習近平国家主席もまた、今上天皇と意思疎通が出来ないままなのだ。

その今上天皇が彼らからすれば「自分たちの国の目と鼻の先」にまで訪われるというのであるから、大事であるのは間違いない。しかも、そこに「御公務」としての色彩、とりわけ祭祀としての重大な意味合いがあったとするならばどうであろうか。すなわち「蒼き狼」の国にお邪魔してしか出来ない「何か」があるとすれば、それはスメラギの主として今上天皇が為すべきこととして御認識され、今まさにそれを行わんとしている可能性があるというわけなのである。

無論、それが祭祀において具体的に何であるのかが詳らかになることはない。スメラギの「祭祀」とはそういうもの、だからである。秘してこそ、それによって開かれる扉から差し込んでくる光はまばゆく、美しいものとなる。そしてまたそれがもたらすインパクトが直に影響を及ぼし得るのが己の国であるとするならば、その「政体」リーダーたちがいわば「自宅待機」をし、吉凶いずれにも対処出来るように万全の準備で臨むのは当然だというべきなのである。

「蒼き狼の国」で今上天皇が果たしていかなる「御公務」を「公務」を超えてこなされるおつもりなのかについて、注視していきたいと想う。そしてまた、あらかじめ、そこで生じる巨大なインパクトがもたらす「世界全革命」をも、決然たる覚悟をもって認識しておきたいと想う。そうした「7月6・7日」は、もう間もなく訪れる。貴方は・・・いかがか?

2025年6月28日 東京の寓居にて

株式会社原田武夫国際戦略情報研究所 ファウンダー/代表取締役会長CEO/グローバルAIストラテジスト

原田 武夫記す

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