「国連SDGsとパックス・ジャポニカ」Vol. 5 飢餓の諸相 ~ポストSDGsに向けた飢餓撲滅の課題~
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過日、5月にオランダで開催された世界エネルギー会合に参加した際、興味深い言葉が物議を醸した。
「我々は今後食料を摂らなければ世界は救われる」
食料を生産する際に膨大なエネルギーを使用している事からこのような発言が成されたわけであるが、あながち的を得ているとの声も会場内には聞こえた。こうした言葉が将来の食料システムに向けて何を暗示するのか。
まず始めに本論で扱う「飢餓」について定義をしたい。よく「貧困」と混同されるが、「貧困」そのものは一般的に社会からの距離により最低限生活に必要な物資や資本にアクセスできない状態のことを指す。「社会的排除(Social Exclusion)」や「社会的包摂(Social Inclusion)」という議論はまさにこの枠組みで議論される。他方で「飢餓」とはその人が一定期間十分に食べられず、栄養不足となり、生存と社会的な生活が困難になっている状態を指す。国連食糧農業機関(FAO)では栄養不足を、「十分な食料、すなわち、健康的で活動的な生活を送るために十分な食物エネルギー量を継続的に入手することができないこと」と定義している。
SDGsの2番目の目標でも定めている通り、飢餓撲滅に向けて様々なNGOなど非政府組織が活動を展開している中、「世界人口が70億人を超える中、飢餓に苦しんでいる人が約8億人いる」とも指摘がされている。このような“喧伝”を見ると、食料供給量を想起し、供給量を増やせばよいのではないかと感じる方が大宗を占めるだろう。この現代における時事流について飢餓撲滅を巡り代表的な2点の議論を紹介することで多角的に飢餓を論究したい。
まず始めに代表的な議論としては、「人口が増えているので食料供給量を増やせばよいのではないか」という論点であろう。この論点の源流はアダム・スミスの「国富論」まで遡る。スミスは国富論の中で、国富が増大していくためには人口増加が必要で、市場経済の発展にともなって下層階級まで富が行き渡り貧困が解消されると主張した[John, 24]。
他方で、その後こうした人口増加に伴い、食料需給システムに否定的な影響が生じると唱えたのが英国経済学者のトマス・ロバート・マルサスだ。マルサスは代表的な著書『人口論』の中で、市場が発達しても貧困層は豊かにならないと主張し、人口増加が貧困を引き起こすと反証しようと試みた[Jacopo, 24]。
<図:世界の地域別人口の推移>
(参考:Our World in Data)
「マルサスの罠」とも呼ばれるが、人口増加のスピードが食料供給量を上回ることで「飢餓」を生むと唱え、当時は量産重視の産業革命時代ということを加味するとマルサスの意見は少数派であった。確かに中国やインド等の新興国における爆発的な人口増加やアフリカ地域の人口を鑑みると、現代においてもこのマルサスの主張は系譜を引き継いでいると言える。しかし、果たして本当に人口増加による食料需給システムの陥落が「飢餓」を生みだしているのだろうか。実際に世界に人口当たりの食料供給量を見たい。
<図:人口一人当たりの食料供給量>
(参考:Our World in Data)
上記図を見ると、1961年からの食料供給量につき、供給量そのものが減少しているとは言い難く、またアフリカ地域などにおいても供給量自体は減少していない。確かに新型コロナウィルスのパンデミックやウクライナ戦争によるサプライチェーンの再構築や肥料など高騰が生じたが、供給量が「飢餓」を生みだすそのものの原因と決定づけるのはまだ尚早ではないだろうか。むしろ多重危機の中でも食料システムの再構築を実現した証左の一つでもある。
では本質的な問題はどこにあるのだろうか。こうした人口論からの視座に異を唱えたのはインドの経済学者アマルティア・センである。センは「飢餓」を生み出す原因の一つに権原関係(食糧の入手、交換、あるいは使用などの、社会的なルールに基づいた正当な権利に関連すること)を指摘している[Bodo, 23]。つまり、飢饉が生じるのは、食糧供給が不足するからではなく、市場の原理により食糧を手に入れる能力や権利を失うからであると指摘している。確かに歴史的な事例を遡るとセンの主張も説明として有効であると言える。
<図:ベンガル大飢饉>
(参考:ウィキペディア)
例えばベンガル大飢饉では、1943年にイギリス領インド帝国の一部であるベンガルにて発生した飢饉であり、政府が特定の人々への食糧補助を行った結果、食糧価格が上昇し多くの労働者が困窮を極め、「飢饉」に繋がったと説明している。当時の政府の見解では、飢饉の主な原因はサイクロンに伴う洪水や、カビ病害の発生による穀物の収穫量の減少とされていたため、データを用いてセンは政府の見解を反証した。
このセンの主張は、食料需給において市場に任せるべきか、政府の介入が必要かという議論に繋がる。現代における食料需給システムにおいては一定の政策的な介入が必要であるというのが卑見である。それも批判を承知で申し上げるのであれば、むしろ「食料供給量を抑える」という点も視野に入れながら次のポストSDGsに向けた議論が要されると考える。なぜならば、エネルギー価格の高騰や地政学リスクなど多重危機と言われる現代においては途上国に向けた支援が先進国の飢餓を生じさせる循環を創ってしまう蓋然性があるからだ。この最たる例がEUの本部があるベルギーでのデモである。現代のエネルギー危機下において農家の方々が生産に係るコストで生活が圧迫される中、デモを起こした。SDGs採択当初と現代におけるグローバル社会全体の概況は変化している。当然、飢餓に向けた議論も多角的に議論する必要があることは言及するまでもないだろう。
<図:欧州連合(EU)の前で発生したデモ>
(参考:Hungary Today)
最後に、今後「飢餓」の問題を解決するにあたり、議論が要される点を論じる。まずは、食料システムを市場に委ねるのかどうかという点である。これまでの歴史的系譜を辿ると、人口増加による影響も一定程度あり、他方で政策に任せると自然と需給バランスが国内外で遍在して「飢餓」を生じさせてしまうリスクに触れてきた。確かに市場に任せると、マーケットは需要が多いところに偏在する。「好況時の飢餓」と呼ばれるが、国内の飢餓問題が起きているのに海外に対する食料の輸出が増える現象は十分起きうる。今後はこうした市場原理をコントロールする政策的な介入が必要であろう。
次に勘案すべきは食料生産目標をどうするかである。一見、食料目標生産を増やすことで「飢餓」を無くすというロジックは説得力があるように聞こえるし、我が国においてもそうした支援の在り方は主流である。他方で、生産量を増やすことで、グローバル・ノースの国々においても影響が生じ、かえって地球全体の飢餓を生むリスクを上述した。当然我が国においても対岸の火事ではない。我が国ではとりわけ食品ロスという問題ばかりに焦点が当てられ、生産量の議論に焦点を更に当てて議論する必要がる。次のSDGsに向けて、こうした多角的な議論を行う上で、人類は「飢餓」とどう向き合うのかポストSDGsに向けてグローバル社会に働きかけていく所存である。
コーポレート・プランニング・グループ 岩崎 州吾 拝
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(参考文献)
[Bodo, 23] Herzog, Bodo. “Review of: Economics rationality in the world of Amartya Sen.”
[Jacopo, 24] Bonasera, Jacopo. “The opacity of a system TR Malthus and the population in principle.” History of European Ideas: 1-15.
[John, 24] Robertson, John. “The legacy of Adam Smith: government and economic development in the Wealth of Nations 1.” Victorian Liberalism. Routledge, 2024. 15-41.