「国連SDGsとパックス・ジャポニカ」Vol.2 SDGs17の数字に込められた意味を探る その2

2024.05.22

前回のブログ、SDGs17の数字に込められた意味を探る その1を読んでいただけただろうか。国連SDGsの17は何であるのか、なぞかけのような問いを残して止めたわけだが、何か思い当たるものがあっただろうか。やはり5月17日、大谷翔平の日だろうか。

「あるべき姿」、「17」で私が思い浮かんだのは聖徳太子の「憲法十七条」である。 西暦604年、推古天皇の皇太子である聖徳太子が制定した日本最初の成文法と言われている。聖徳太子が実在したのか、厩戸王という呼称が正しいのか、本当にその時代に作られたものなのかといった議論もあるのかもしれないがここでは避けたい。

第一条、和を以って貴しと爲し忤ふこと無きを宗と爲す……。

第二条、篤く三寶を敬へ、三寶とは佛と法と僧となり……。

 憲法十七条がどのようなものであったかについて、根本的な規範、あり方、官僚や貴族に対する道徳、人間関係について儒教の思想を中心に作られたという説が一般的かと思う。ただ別の考えもある。[石井公成 23]は「和」が強調されるのは争いがなされているか、争いが起きる可能性があるため、「和」を単なる道徳とみなすことはできないとしている。憲法十七条は官人に対する道徳的な訓戒を説くものとみるのが通説だったが、道徳主義の儒教が根本ではなく、法による統治を重視していた人物が作ったのではないかというものだ。

 SDGs策定の始まりともいえる1945年の時代、国際連合が設立されたのは第二次世界大戦の反省がある。SDGsの大元は戦争、紛争から命が奪われる中、人権を守り、平和を実現するために作られたといえる。もし憲法十七条が争いを抑えるため、避けるためにあるべき姿、目標として作られたものだとしたら共通する分部がありそうである。

 他にもあるべき姿などを17項目にまとめたものがあるかといえば、1789年、フランス勢の「人と市民の権利の宣言」がある。絶対王政の抑圧、社会の不平等に市民の不満が爆発し立憲君主制へと移行、宣言により人間の基本的人権が保障された。「人権」という考えが広まりはじめたのはこの頃で自由、平等、友愛の原則はその後の世界にも影響を与えている。

[図 フランス人権宣言]

(参照:Wikiepedia

 憲法十七条、フランス勢の人権宣言と比べると「持続可能性」というのはSDGsの特徴だと言えるだろう。持続可能性は一般的に、現在のニーズを満たし、かつこれからの世代のニーズを満たす能力を損なわないことを意味している。[金井 24]は持続可能性について論じている。

 “経済学者のBoulding(1964)は、20世紀の意味について「文明社会」から「文明後社会」への過渡期にあたる人類史上の転換期となっていると指摘する。この大転換を実現するためには、「戦争の落とし穴」「人口の落とし穴」「技術の落とし穴」「エントロピーの落とし穴」を克服することが必要であると主張した。ここでボールディングのいう「落とし穴」とは、まさしく「持続可能性の落とし穴」と捉えることができる。その後の歴史を見ると、ロシア勢によるウクライナ勢侵攻やイスラエル勢によるパレスチナ勢への攻撃、人口の過剰と減少の極端な偏在性、原発の問題、異常気象等、人類はボールディングが指摘した4つの落とし穴に落ち、もがいている状況にあるということができる”

 “持続可能性の危機とは自然環境と人為的システム全体との不調和あるいは人為的システム内のサブシステム間やサブシステム内のバランスが崩壊することで、現世代のニーズを満たす行為が将来世代のニーズを満たす能力を危うくすることを意味している”

聖徳太子の時代にも争いなど社会の課題があったから憲法十七条が作られたのかもしれない。しかし今の時代は人類史上の転換期を経てその頃からは想像もできないような「落とし穴」の克服が必要となっている。バランスが崩れ持続可能性が危機的状況である。ただそこに対してイノベーションで克服できる可能性があることも知っている。

 聖徳太子の「憲法十七条」、フランス勢の「17条の憲法」、国連の「SDGs17」、現状を変えるべく、世界をあるべき姿に向かわせるべく、強い意思をもって作られ発信されたものである。そこに17という数字が共通しているのは、意図的なものかは定かではないが「17」という数字には何か求心力があるのかと感じてしまう。

 聖徳太子は「お札の人」としても有名なわけだが、こんな話がある。[KLAUTAU, Orion 23]敗戦後、GHQ の指令のもと、日本武尊、武内宿禰、坂上田村麻呂などが描かれた日本銀行券がすべて預金され、それらの人物が 「軍国主義や封建制度の代表者」であったため、その肖像を新札に使うことは 禁止された。1946年6月から日本銀行総裁を務めた一万田は、 聖徳太子はそれらの人物と異なり、十七条憲法で「和」を語った平和主義者であるから、その札を今後も使うよう、GHQを説得したという。

 聖徳太子は憲法で「平和」を掲げたという理由で、その紙幣が戦後の世に残された。 我が国が直面している大きな落とし穴は数多くある。極度の人口の偏り、原発の問題、ボールディングが指摘した穴でもがいている。我が国からあるべき姿に向かってイノベーションで発展をし続け、その選択をしていく様子を世界に発信していければと思う。

これからも「Pax Japonica」の実現に向けて。

コーポレート・プランニング・グループ 池田梨沙子 拝

ブログを読まれた方はぜひご感想をお聞かせください。
bit.ly/3USepjk

(参考文献)

[石井公成 23]石井公成. “文献と金石資料から浮かびあがる聖徳太子の人間像.” Diss. Waseda University (2023).

[深瀬忠一 95]深瀬忠一. “聖徳太子の 17 条の憲法 (とくに 「以和爲貴」) にたいする中国諸思想の影響と日本的総合およびその憲法文化的遺産と今日的意義 (1).” (1995).

[KLAUTAU, Orion 23]KLAUTAU, Orion. “[報告 3]< 憲法作者> としての聖徳太子の近代.” Diss. Tohoku University (2023)